Silent Foreign Perspective

アルバム『結束バンド』楽曲 歌詞 感想

Tags:

Published at 2022-12-31 12:30:31 (Revised at 2023-05-28 23:06:55)

前回記事と同様の感じでやります。アニメ全話、該当部分の原作、5巻収録特別編「星に手向けるあいの花」の内容が含まれます。
基本的に歌詞にキャラクターやエピソードを当てはめるやり方ですが、自分が気持ちいいと思うように読んでいるだけであり、歌詞とキャラの一致度が低いからといって楽曲や歌詞の評価が低い(低くあるべき)ということではないとだけ断っておきます。
また、歌詞解釈について、劇中の設定から「全て後藤ひとりが書いているので全て後藤ひとり視点の歌詞である」といった見方のものを多く見かけますが、一部の曲で明らかに知りえない情報・情緒が出てくるので行き詰まってしまう部分が多いと思います(顕著なのは「なにが悪い」など)。一番冷静な見方は「作詞は各作詞家によるものである」派で、自分はその2つの中間「劇中のキャラクター・エピソードが何らかの工程を経て(メタ的には作詞やプロデューサー・原作者などの間での世界観練りこみ、フィクション的には後藤ひとり及び他のバンドメンバーが案を出し合っている光景を想像すればよい)発露したものが歌詞である」くらいに考えています。それが一番気持ちいいため。

楽曲情報

ジャケットはSpotifyやPVなどで確認できるイラストにいるキャラクターで、本人歌唱のED曲(いわゆる「担当曲」?)の他にももう1曲ずつ割り当てられている。

# 曲名 作詞 ジャケット
1 青春コンプレックス 樋口愛 -
2 ひとりぼっち東京 樋口愛 -
3 Distortion‼ 谷口鮪 喜多郁代
4 ひみつ基地 ZAQ -
5 ギターと孤独と蒼い惑星 ZAQ 後藤ひとり
6 ラブソングが歌えない ZAQ -
7 あのバンド 樋口愛 山田リョウ
8 カラカラ 中嶋イッキュウ 山田リョウ
9 小さな海 音羽-otoha- -
10 なにが悪い 北澤ゆうほ 伊地知虹夏
11 忘れてやらない ZAQ 伊地知虹夏
12 星座になれたら 樋口愛 喜多郁代
13 フラッシュバッカー 音羽-otoha- -
14 転がる岩、君に朝が降る 後藤正文 後藤ひとり

ひみつ基地

アルバムを通して聴き始めると最初に出会う新曲。個人的にはすごい良くてここで耐えられなくなり数日聴くのが止まった。歌詞の解釈は難しいが。。。

今日という日を また無駄にしよう
長い瞬きして 秘密基地に行こう
さあ行こう

これ以降も歌詞に出てくる「秘密基地」は漢字だが曲名は「ひみつ基地」と開いている(アルバム現物が届いておらずSpotifyで確認しているので歌詞サービス依存の可能性は捨てきれないが)。まず意図があってひらがなにしていると思われるので理由を考えてみる。「秘密基地」という語全体の語感や、語から連想される夏とか少年時代とかいったイメージの方が重要で、「秘密」であることは重要ではないから、といったところか。
歌の元気さ・キュートさ、あるいはDistortion!!の直後に配置されていることからつい喜多を当てはめて聴いてしまうが、ここの歌詞はちょっと謎。「今日という日をまた無駄に」するために秘密基地に行っているとは考えづらいため。ただこれは他のキャラも同様。

なにもすることがないから
とりあえずねっころがるふとん
秒針が意味もなく 進んでく

ZAQ作詞の楽曲はキャラ解釈しようとすると「デフォルメされた後藤ひとり」になりがち。よく言えば普遍的で、悪く言えば浅いと感じてしまう。

ふと浮かぶあのときの景色
なんで今思い出しちゃうんだろ

(負の)フラッシュバック。前段のことを「あのときの景色」と言っているのであれば、中学以前のギターに出会う以前の後藤か。

もやもやと 闇に潜る理由

闇に潜る」が青春コンプレックス「深く潜るのが好きだった」と同一のことを指しているかは問題。ここでは単にフラッシュバックしていることを指しているだけな気も。

スキューバダイビングみたい
目を閉じれば新世界だ
落書きし放題の壁
なにを描こう

スキューバダイビングは潜ることのつらさの説明な気がするのだが、一転明るくなっている。青春コンプレックス「海の底にも月があった」とのリンクは興味深い。「目を閉じ」て新しい世界に来ているので夢か妄想に逃げているように思えるのだけど、どちらも歌詞の後ろで否定されるので謎。前半と後半で同じ「秘密基地」の語で別のことを表している?
(追記)フォロワーからの指摘「秘密基地=ライブハウス」とすると潜る→地下のライブハウスに行くこと、落書きし放題の壁→ライブハウスの内壁の外観と対応がつくのではないか、とのこと。バンドの場所なので真っ先に思いつくべきことだけど歌詞との対応を考えられなかったので気にしていなかった。感謝。以下斜体が追記。

秘密基地 だれも知らない

だれも知らない」が文字通り誰も知らないのかどうか。喜多を当てはめて聴くなら、学校の人間関係からすると結束バンドは誰も知らない「ひみつ基地」にあたるのではないかなと思っている。

広がるパノラマは 燦燦と輝いてる

照明が当たるライブハウスのステージの光景のことか。

自由意志 ココロの行方

ここの韻踏みは気持ちいい。自分の意志でバンドに参加している感。

無限大 「夢」とは違う 想像パレード
わたしだけの 宝物だ

ここで明確に『夢』ではないことが提示される。想像パレードが想像「の」パレードかどうかがちょっとわからない。想像を実現できる場所くらいの解釈が妥当?

「生活リズム 規則的に」
「夜更かしお寝坊 だめゼッタイ」
「安心と安全を 生きましょう」

「だめゼッタイ」の喜多が可愛すぎる。

つまんないって言われても
マジメかって言われても
わたしにはあの場所が
あるからいいんだよ

「つまんない」って言われるのはともかく「マジメか」と言われる人間がバンドにいるか……? かろうじて虹夏くらいか。前段のセリフも誰が誰に言っているのかあまりピンと来ていない。いわゆる学校生活での標語に対して周囲の人間は不平不満を言っているが自分は学外に居場所を持っている、ということかも。このぼんやりとした学校アンチ感は忘れてやらないにも通じるところがある。

ヘッドフォンは置き去りにする
世界の音像が 鮮明に感じ取れた
まっすぐな色ばかりだな
眩しいぐらいでちょうどいい
満ち足りてく
今日という日が 宝物だ

ヘッドフォンは世界と自分を隔てる定番のアイテム。2番サビは外界に飛び出した後藤のニュアンスを感じるものの明るすぎてちょっと解釈違い。この程度で満ち足りないでほしい。
ライブハウスに行くので当然ヘッドフォンは外している。「まっすぐな色~満ち足りてく」まではライブでさまざまなバンドを鑑賞したときの感想か。「今日という日が宝物だ」は2話の虹夏のセリフ「良いハコだったって思ってもらいたい」「きっと今日のライブがもっと楽しい思い出になったよ」といった想いが実った時の客側が抱く感想ではないかと思える。そう考えると2番はAメロからサビまで全てバンドの誰でもなく観客の視点・心情だったのではないかという気もする。

つくっちゃえばいいんだ全部
大好きなモノで埋めちゃえ
収拾つかなくていい
ココはそうわたしだけの

「秘密基地=結束バンド」の解釈だとここは絶妙にピントが合わない感じもある。ここでは「秘密基地=曲」としてみると詞も曲も自分たちの好きなものを追い求めるという「あのバンド」のメッセージと結び付けられていい感じ。1番Bメロ「落書きし放題の壁」などから「秘密基地=作詞ノート」と後藤主体で解釈する方が強い整合性があるかも。わざと多義的な解釈を許すように作詞してるかもしれなくてまんまと踊らされている。
「大好きなモノで埋めちゃえ」はセットリストの選曲ともとれるかも。

わたしだけの 宝物だ
目が覚めても 出会える場所

自分が「秘密基地=結束バンド」を採用したいのはこのラスト1文が全て。アルバム全体を通して聴くと(特に「フラッシュバッカー」の内容が内容だけに)少しさびしい気分になるのだけど、そこから2周目以降にここを聴くと朝が来ても一緒であることがわかって泣けてしまう。

ラブソングが歌えない

一番物議を醸すであろう曲。曲そのものだったり歌詞単体で考えるとめっちゃいい。

スワイプされる日常スクロールして
歌詞もわかんない歌が流行ってる

後藤ひとりはこの歌詞を書けるほどSNSをやらないはず。YouTube Shortとかの可能性はあるかも? SNS偏見として持っている可能性はあるだろうが、個人的にはあまり言ってほしくないというか、自分の体験の方をこそ曝け出してほしいと思ってしまう。
喜多はSNSについて友人との関係性を重視している(=SNS上のコンテンツ消費について問題意識を持っていない?)ことが作中8話で明言されているので、主体として残るのはリョウか虹夏。このくらい世界を穿って見ているのは山田っぽさはあり、改めて後藤ひとりと山田リョウの親和性を感じる。

シュラバすら起きない
わたしだけの秘密基地で

作詞が同一なので意図的なワードの反覆。ただあまりにも方向性が違うので「ひみつ基地」での使われ方とは違う解釈にならざるを得ないと思う。ここではバンド結成以前の後藤を想像して「秘密基地=押し入れ」がしっくりくるかも。1人しかいないので当然修羅場は起きない。インタビュー記事によるとこの曲が最初に出来上がったらしいので、ここからイメージを膨らませて「ひみつ基地」ができたのかなとも思う。

ひとり ずっとずっとずっと 叫んでる
小さくでっかい声で もがいてんだよ

ギターと孤独と蒼い惑星にも通ずるリフレイン。内容はともかくとしてこのエゴの強さは楽曲の魅力のひとつ。

ああ 嫌だ嫌だ嫌だ
形のない情熱が 止まずに痛い

情熱」はなんなのか。凡百のラブソングであれば「情熱=恋・愛」であり、今までは知らなかったけれど自分の中で消化できない感情が確かにあり……みたいな定型に落とし込めそうだが、この曲は徹底的に逆張りしているのでそうとは思いづらい。これまでの話の流れからするとラブソングアンチをする情熱なんだけどそれはあまりにも嫌すぎる。表面的には嫌っているが(ラブソング及びラブを)理解したいという気持ちはある、というアンビバレンスな感情のことか?

無関心を貫きたいけれど
共感性? いっそ協調性?
愛の正体を 知らないままだ

「愛の正体」が共感性あるいは協調性だと看破している? だとするとかなり穿っているなと思う。あまりに陰キャすぎるし、個人的にはそれが一面の真実だと納得するしそれで愛そのものがスポイルされるとは思わないが。

ああ いつかいつかいつか
わかるのか 無理だ 見えなくていい

諦めているように読めるが、言葉とは裏腹に理解したいという憧れが感じられる。

陽の当たる方で 愛は咲く

一方自分は日陰にいるので理解することはできない。

ああ 嫌だ嫌だ嫌だ

結局嫌なのは「パンピーの間で消費される色恋沙汰・ラブソング」と「それを理解できない、理解することを諦めてしまう自分」なのかなと思う。作中の描写には当てはめづらいが後藤ひとりの歌詞としては納得性は高い。楽曲群の全体的な方向性は十分に示せている。
売れ線の歌に対して、歌えないという立場をとるのがこの歌であり後藤ひとり、私の歌を聴けという立場をとるのが「あのバンド」であり山田リョウなのかなという対比が成り立つと思う。

小さな海

山田3部作完結編(勝手に言っているだけ)。前回記事で書いたが、キャラの時系列的には「あのバンド」が結束バンド以前の山田、「カラカラ」が結束バンド結成時の山田で、「小さな海」は前半(1番、静かな部分)が結束バンド以前・結成時後半(2番以降)が結成後(特に8話後)の結束バンドに自分の音楽を託す山田の心境と解釈するのがいいと思う。この3曲が連続して配置されているのも素晴らしく、流れで聴くと曲が良すぎるので絶対に泣いてしまう。3曲が全部作詞別の方でここまで統一して山田リョウについて掘り下げがされているのすさまじくないか。
前回記事の「あのバンド」の後半部分の解釈について補足。「小さな海」が最終的な山田の心境だとすると、「あのバンド」後半部分「目を開ける」以降は実際にデビューしているのではなくこういう気持ちでやっていくという決意表明になるのかなと思う。そうなると「孤独の称号」あたりが結構不遜にはなってしまうのだけど。。。

あぁ また今日が終わっちゃうのか
何か一つでも 僕を変えられたかい?

カラカラとも通じる焦燥感。

もう 戻ることのない
時間が 怠惰な眼で僕を見てる

カラカラ「ダラダラ過ぎる日も愛して」の部分とは怠惰という意味で通じる部分があるが、この曲のこの部分は前バンド脱退直後の喪失感とかやることがない負の怠惰を描いていると思う。時間に見つめられるという表現の責められている感。カラカラの方ではこちら側から「愛して」いる。日常を愛するきららの精神。

これっきりじゃ足んないよ
もっと刺激を頂戴

あのバンド「不協和音に居場所を探したり」に通ずる部分。

色違いじゃ嫌んなるよ
もう僕は僕だけなんだから
諦めを諦めて

色違いじゃ嫌んなるよ」は本編4話及び「あのバンド」の主張そのもの。山田。「もう僕は僕だけなんだから」はバンドを脱退して一人になった状況。「乗客は私一人だけ」。前バンドへの未練を断ち切ろうとする場面か。

散々泣いて泣き腫らして 枯れた海が
また今日も 明日を懲りずに探してる

涙と海を結び付ける詞作が抜群に上手い。この段階ではまだ明日を探している最中。明日を見つけた=結束バンド結成後の心境が「幼い心を明日に運ぶのさ」なんだろう。

簡単なことばっかりじゃ つまんないかも

「愛された方が確かに無双的だけれど」「便利な方が確かに楽だけど」。売れ線への迎合を拒否する信念のことかな。

今よりも少しだけ 明るくなれたらいいな

ここの主体を誰にするかは議論が分かれるであろうところ。1行だけ取り出すと後藤ひとりにも思えるが、ラスサビとの対応を考えるとやはり山田になるのかなと。後述。

ねぇ まだ今日は終わっちゃいない
針は指せど 僕の眠気は来ない

歌詞はそんなに明るくないが、1番との比較や曲調の変化も相まって前向きさを感じられる部分。何もせずに時間が経過しているのではなく、日付が変わってもその日を使い切ろうとしている印象を受ける。「前借りしてるこの命を使い切らなくちゃ」。

いつまで待っても 僕は 僕なんだよ
変わらないのも 僕の 僕のせい

「どうせどこかの誰かみたいに生きれない」。「いつまで待っても」の主体が誰かは問題か。自分(山田)や前バンドの面々が、山田が変わることを期待していたがそうはならなかったという話か。結束バンドの他の面々は現在の山田を受け入れていると思うので。

それでも何か ちょっと ちょっとでいい
僕の光になって 行き先を照らしてくれよ

僕の光」に虹夏を当てはめたり、僕=後藤、光=喜多とかでもいいんですが、個人的には「光=結束バンド」を推したい。8話の虹夏のセリフ「リョウは今度こそこのバンドで自分たちの音楽をやる事」「みんな大事な思いをバンドに託してるんだ」より。

いつだって僕は隅っこ隠れて海を作った
完全無欠の主人公みたいにはなれない性分

ここはやや後藤か。(この部分での)海=秘密基地=押し入れ。

こんな村人Aみたいな僕には何も出来ないよ
せめて この海で泳がせて

タイトル回収にして一番の聴きどころ。サビに行かないのもいい。「自慢の武器など一つもないけれど」とある通り山田のコンプレックスはどうもこの辺りにあるっぽい? アニメ範囲でエピソードが無いので判断しかねるが……。後藤はたぶん「ギターはうまい」という自己認識だと思うので当てはまらなそう。海=結束バンド

散々雨に降られたって 笑っていられる
君のこと 普通に羨ましいけど

ここは君=虹夏以外の当てはめは自分には思いつかない。「雨に降られた」という比喩に該当するエピソードで一番印象的なのはやはりあの特別編なので。。。

だんだん僕も君みたいに 強くなってさ
今よりも 少しだけ 素直に笑えますように

素直に笑えますように」が似合うのは誰か問題。後藤は別に素直でないから笑っていないわけではない気がするし、なんなら「すぐ顔に出る」とも言われている。やはり山田か……

いつかまた遠くで会えたら
手を振り返して

これ以降こういった時間を飛ばしたような歌詞が多く出てきて本当につらい(「遠く」は時間的な距離の話のはず)。解釈が難しい。両方山田自身だとすると、未来の自分が現在の自分を振り返ったとしても現在の(結束バンドと共に歩んでいく)自分を誇り笑って手を振り返そう、となるか。

なにが悪い

前回記事ではほぼ言及しなかった(できなかった)がアルバム通して聴いたり他の曲と合わせると言及した方がよさそうなことがあるので少しだけ。
基本的に特別編の内容と5話, 8話のひとり-虹夏間のやり取りを描いている。時系列的には「ひとりぼっち東京」が5話の内容なので、曲順としては「小さな海」と「なにが悪い」の間に「ひとりぼっち東京」を配置してもらうとストーリーにまとまりが出るのかなと思った。喜多(前半)→山田→虹夏→文化祭・喜多(後半)→後藤、とアニメの構成に沿う形になるのも魅力。当てはめられない「ラブソングが歌えない」をどこに置くかは迷うが。。。

鳴りやまなくてなにが悪い
青春でなにが悪い

心臓の音、演奏の音。これ以外にも直接的に「心臓」「あらいぶ」など生命に関わる単語が頻出するためどうしても境遇に思いを馳せずにはいられない。作品の当てはめなしに歌詞だけ読むとギャルゲーの薄命なヒロインの歌のようにも思えてしまう。伊地知虹夏さんの今後のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。

忘れてやらない


結束バンド流青春文化祭ソング。ジャケットが虹夏だが、歌詞を全て彼女に当てはめて解釈するのは難しい。「あのバンド」と「星座になれたら」がドハマりしているのでこれは数合わせかな……と思ったりもしたのだが解釈できる部分を楽しんでいく。

ぜんぶ天気のせいでいいよ
この気まずさも倦怠感も
太陽は隠れながら知らんぷり

ギターと孤独と蒼い惑星「空のご機嫌なんか知らない」と同じ天気への言及。「気まずさ」があることから人間関係がうまくいっていないがその原因を責任転嫁している。イマジナリー後藤感。

すれ違うのは準急列車

下北沢駅を通る小田急線の電車のこと。これを聴く(文化祭に来ている)客にはわかる歌詞、という印象。他にもこうしたウケ狙いっぽい歌詞がいくらかあるが、狙って作詞できるのであればそれは後藤ひとりの成長ということなので別に悪くはないと思う。

「作者の気持ちを答えなさい」
いったいなにが正解なんだい?
予定調和のシナリオ 踏み抜いて

表面的には学校あるある&学校アンチ。前半の内容を考えるとコミュニケーションにおいての正解がわからない後藤が自分なりに他者と関わろうと奮闘する場面(3話の喜多勧誘、7話アニオリのてるてる坊主)が想起される。「予定調和のシナリオ」を「踏み抜」くのは「とんでもなくやばい状況をいつも壊してくれたのが ぼっちちゃんだったよね」と同義か? たぶん違うんだけどこう思っておくと気持ちいいのでこう思っておきます。

青い春なんてもんは
僕には似合わないんだ

ここは「青春でなにが悪い」と一瞬で矛盾する。ただしこのあとで逆接が来るので本当はそうは思っていないと捉えることもギリギリ可能か。後藤ひとりだと思えば百点満点ではある。

それでも知ってるから 一度しかない瞬間は
儚さを孕んでる
絶対忘れてやらないよ いつか死ぬまで何回だって
こんなこともあったって 笑ってやんのさ

青春という名前の何かは苦手だが、今この瞬間は全力で楽しもうという意思。「儚さ」を「知って」いるのはやはり母親との死別を経験している虹夏だから出てくる言葉か。「死ぬまで」って言われると重すぎてウッとなってしまうけれど。。。「瞬間」を忘れないというのは「フラッシュバッカー」にも通じる部分がある。


キリトリ線で区切れた僕の世界

情景があまりに後藤ひとり。「キリトリ線」は確かに大人になると見ないものなのでこれも実は高校生以下狙い撃ちワードかも。最後に見るのは大学入試のときか、あるいは親になってから子供のプリントを受け取るときか。

嫌いな僕の劣等感と
他人と違う優越感と
せめぎあう絶妙な感情

まあまあ後藤ひとり、というかはぐれている人あるあるというか。同族嫌悪とかしがち。

「わかるわかる、同じ気持ちさ」
ホントにそう思っていますか?
たじろぐ僕の気も知らないで

前段を受けて共感を示す人すら突き放しに来る。流石に文化祭ではここまで言うのは難しいのではないかと思うが、1番しかやらない計算で2番に主張を入れたのであれば流石。メタ的には歌詞への共感・解釈をも拒絶されたように感じて少しギョッとした。

誰かが始める今日は 僕には終わりの今日さ
繰り返す足踏みに 未来からの呼び声が
響いてる 「進めよ」と

引き続き本当に暗い。後藤だと思えば何も始められず高校生になってしまったところに未来からの呼び声=虹夏の誘いが来た場面、虹夏だと思えば母親が亡くなってふさぎ込んでいたところに来た未来からの呼び声=星歌の演奏とそこから抱いた夢を指す歌詞かなと思う。「心臓がうるさく僕に伝えんだ『行こうぜ ずっと先へ』」のパラフレーズだと思えば未来からの呼び声=自分の内なる衝動になるか。

運命や奇跡なんてものは きっと僕にはもったいないや
なんとなくの一歩を 踏み出すだけさ

難しいところ。アニオリではあるが後藤は1話で「こんな奇跡 たぶん一生起こらない」と独白しているため。もちろん公園から連れ出された時点での心境は「なんとなくの一歩」が適しているとは思うのだけど。

いつもの鐘の音も
窓際に積んだ埃も
教室の匂いだって

強制ノスタルジーゾーン。結束バンドの面々自体は同じ教室の匂いを共有してはいないのでやはり観客に向けた歌詞だと思う。

星座になれたら


色んな意味で衝撃の曲。

もうすぐ時計は6時 もうそこに一番星
影を踏んで 夜に紛れたくなる帰り道

季節によるが、「一番星」とある以上夕方の光景を想像していいはず。Distortion!!「投げつけられた言葉がいつまでもなんだか消えないまま夕暮れの影みたいに」とつながる部分がある。帰り道で一人になる時間に不安を抱くのは喜多らしい。

どんなに探してみても 一つしかない星
何億光年 離れたところからあんなに輝く

どんなに探してみても 一つしかない星」。公式PVでは一応4色の星が描かれているのだが、この一文で「星」「君」が一人を指していることが確定する。「何億光年」と言われると山口百恵「さよならの向こう側」を想起してしまう。

いいな  君は みんなから愛されて
「いいや 僕は ずっと一人きりさ」

順番に読むと地の文が(これまでの主体である)喜多、カッコ内が後藤ということになり、「ずっと一人きりさ」の方が合致する。一方、歌詞を書いた人間が後藤であることを考慮すると地の文が後藤、カッコ内が喜多ということになり「みんなから愛されて」の方が合致する。どちらとも取れるしどちらでも完全には合致することはない、恐らく相互に思っているであろう部分。この曲の歌詞は「君」と「僕」をどんなに入れ替えても成り立ってしまう。

君と集まって星座になれたら
星降る夜 一瞬の願い事

解釈は色々あるがやはり「星座=結束バンド」と言いたい。書いてて思うが自分はこれしか引き出しがないのか? 一応空に映る他の星々が他のバンド、その輝きが音楽、というメタファーが成り立つとは思っている(最初気付かずに書いていたが、特別編で明かされたSTARRYの名前の由来と同じ)。「君(特定の一人)と集まって星座(4人のバンド)になるというのが若干違和感あるかもしれないが。

きらめいて ゆらめいて
震えてるシグナル

星でいうとシンチレーションのことで、後藤ひとりの話だとおどおどする様子のことか。喜多の心情であれば10話の文化祭ライブ申し込みの真相を告白する場面が思い出される。

君と集まって星座になれたら
空見上げて 指を差されるような

人気のバンドになりたい、輝きたい。有り体だけど。

つないだ線 解かないで
僕がどんなに眩しくても

「ディスボード 電源をつなぐ 星灯りのように」。この「僕」は一旦喜多自身と思っていいはず。もちろん入れ替えてもいいのだけど、やはり地の文であることや「眩しい」という単語が「眩しい 眩しい そんなに光るなよ」という初期の後藤から見た喜多像に合致するので。

もうすぐ時計は8時 夜空に満天の星
何億光年 離れたところにはもうないかもしれない

「さよならの向こう側」も星の寿命の話をしているし、この後の歌詞もずっと別れを思い起こさせるので意外と本当に引用元なんじゃないかという気もしてきた。アニメ上では(エンディングのカバーをボーナスと思えば)「Last Song」でもあるし。なぜこんなに引用の話をするかというのは後述。

月が綺麗で 泣きそうになるのは
いつの日にか 別れが来るから

来ないでほしい。「~なるのは、~から」という構文は何か有名な曲であったような気がするが思い出せず。「月が綺麗」の解釈が問題。まさか夏目漱石が訳したとされる確定情報が何一つない雑学のことではあるまいし、泣きそうになっていることからもプラスの意味ではなさそう。想いを伝えたときに別れることがわかっていたら典型的な悲恋なのでありうるシチュエーションではあるが。「」単体が何の比喩か考えたいところ。

君と集まって星座になれたら
彗星みたい 流れるひとりごと
消えていく 残像は 真夜中のプリズム

映像的には綺麗だが「消えていく 残像は 真夜中のプリズム」の解釈が全く思い浮かばない。彗星の尾とプリズムの分光の様子をなぞらえている? どっちも映像なのでなんの比喩にもなっていないが……。ひとりごとの中には様々な感情が含まれている、くらいか。

変われるかな 夜の淵を
なぞるような こんな僕でも

」の辞書的な意味は「水が深くなっているところ」くらいだが、そのあとの「なぞる」という言葉は「縁(ふち、物体の端)」という方のコロケーションから来ているように思える。天体望遠鏡越しに見ているとかなら物理的になぞれるかもしれない。「夜の淵をなぞる」という語感から受ける印象を考えるとここの「僕」には後藤を当てはめたくなってしまう。「夜の淵=暗い感情が湧き出てくるところ=後藤ひとり自身」とするとそれをなぞるのはその「心の奥には入れない」喜多とできるかもしれない。

遥か彼方 僕らは出会ってしまった
カルマだから 何度も出会ってしまうよ

一番書きたかったところ。ここで唐突に「カルマ」という単語が出てくることに違和感を覚えた。そもそも原義は宿命とか業とかのはずで「何度も出会」う理由にはここではそぐわず、シンプルに運命とか言ってしまいたくなる部分。ただ「カルマ」「出会う」という単語の並びや、そもそもカルマという単語を何で知ったかと考えたらBUMP OF CHICKENの『カルマ』(2005) に思い当たった。もしやと思い前の行も調べてみるとずばりASIAN KUNG-FU GENERATION『遥か彼方』(2002) という曲が見つかった。特にカルマの方はメッセージがこの曲と合わないので本歌取のような部分的に取り入れる意図だと思われる。両曲の特徴的な歌詞はそれぞれ「必ず 僕らは出会うだろう 同じ鼓動の音を目印にして」「君じゃないなら 意味は無いのさ」。
この曲の詞を読んでるとつい歌詞引用を探してしまうのだが、自分はあまりこの時期の(どの時期でも)邦ロックに詳しくないし歌詞そのものの解釈がおろそかになってしまいそうだったのでやめた(何億光年だけちょっと思いついたので書いた、全然文脈が違うが)。インターネットには上記のことにもっと早く詳しく言及している人がたくさんいるはずなので興味のある向きは調べてみてください。このようなリスペクト・仕掛けを仕込める作詞家の方には脱帽するほかない。

雲の隙間で

すぐ上の引用につられてめちゃくちゃ調べてしまった。一応ASIAN KUNG-FU GENERATION『ロケットNo.4』(2003) に「ふいに虚しくなる 雲の隙間から この世を刻み 燃える月」というフレーズが出てきはするのだが、ちょっと解釈を結び付けられそうにはない。
単に空の上で星同士が出会ったことを表現しているかもしれないが、雲の隙間から見えるものとしてはなんかも思いつく。この詞の中では別れの象徴なので、出会ったとき=12話で喜多が後藤を支えるギタリストになると決意したときには後藤がいつか自分の元から離れて行ってしまうことも同時に予見しているのだろうか。

君と集まって星座になれたら
夜広げて 描こう絵空事

願い事→ひとりごと→絵空事と並んでいるが、3番だけ星座になった後にしたいことを言っている。「落書きし放題の壁 なにを描こう」。独り言をひらがなにしているのは後藤の名前を含ませるお遊びか。

暗闇を 照らすような 満月じゃなくても

この満月も特に前に出てきたと結び付けづらくて難しい。単体だと「完璧じゃなくても=技量が不十分であっても後藤を支えたい」くらいの意味になるとは思うのだけど。

だから集まって星座になりたい
色とりどりの光 放つような

ここでようやく「星座=結束バンド」の補強材料が1つだけ出てくる。2つの星だけでは「色とりどり」とは言いづらいはずなので。

つないだ線 解かないよ
君がどんなに眩しくても

「星座になれたら」→「星座になりたい」、「解かないで」→「解かないよ」、「僕」→「君」。歌詞主体は同じまま決心によって内容が変わったと思ってもいいし、2番までの願い事に対して3番では「星」の側がアンサーを返していると思ってもいい。解釈は自由。

フラッシュバッカー


フラッシュバックはトラウマなどを受けて負の記憶が鮮明に思い出されてしまうこと。1話では(少しカジュアルではあるが)この意味で使われていて、それを踏まえた曲名と思われる。フラッシュバッカーというとフラッシュバックをさせる人・物事フラッシュバックしてくる記憶自体のどちらかの意味になるはずで、この曲の詞の中では後者の意味で使われているように読める。もちろんだがここでは「フラッシュバック」という言葉から「負の記憶」という含意は取り去られている。本PVはアニメ映像のダイジェストで、後藤ひとりが劇中の出来事を思い出していると同時に視聴者がアニメ自体をフラッシュバックすることができるものになっている。

転換点

PVでもその場面が映されているが、1話で虹夏が後藤を連れ出すシーンのことを指している。1話は後藤の高校以前の記憶の負のフラッシュバックから始まるが、転換点以降の後藤ひとりと各登場人物との関わりが全て映像内でフラッシュバックしてくるというPVの構成は白眉。

いつかノートに書いたあの言葉たちは
きっと泡になって消えた 行方なんて知らない

後藤の中学の頃の作詞ノートのことだろうか。「転換点」以後は心境が大きく変わったであろうことを考えると後から読み返して呪詛と思えるのは納得。

擦り切った白いチョークが はらはらと落ちていった
まるで星屑みたいだと 見とれていたんだ

暗に教室が出てくる(ライブハウスでチョークを使うとかあれば別だが……)。前回記事で書いたように当てはめるなら同じ学校に通っている2人ということになるのだが、特に2人いると想像する根拠が見当たらない。この曲のAメロは特に解釈が難しい。ここは「忘れてやらない」から教室の光景を、「星座になれたら」から「星屑」を導いてこれまでの楽曲を想起させる部分だろうか。もしくは「何もが悲しいほど綺麗で なんかね寂しくなったよ」のパラフレーズか。

いつかは消えてしまうけど
誰かの記憶には残れるかな
この瞬間を切り取ってさ

「小さな海」「星座になれたら」と通ずる終わりを予感させる詞。Bメロは2番の方がわかりやすいが「写真」の話をしているはず。曲全体のテーマである記憶からすぐに連想されるし、フラッシュバックを形に残したものが写真と言えるだろう。1行目の儚さは山田を感じる部分があるが、記憶を残そうとするのは誰かと考えると「いつか失くしてしまうものばかりなら 強く刻んでおこう」というフレーズが思い出される。目的は違うが4話で写真を撮っているのも虹夏である。

光る朝が 朝が あまりに眩しい 眩しいからさ
なんかもう それだけで 心が宙に舞う

前曲から時間が経過し、夜が明けて朝になっている。この単語の選び方や繰り返しはやはりギターと孤独と蒼い惑星から来ているか。
心が宙に舞う」のは誰だろう。「朝」「眩しい」という連想からこれらの語に人を当てはめたくなってしまい、その関係性で誰か決めてしまいそうになるけど、文字通り捉えるなら全員朝に心が宙に舞っていてもおかしくはない気はする。山田は「小さな海」で「いっそ 朝が来なければ」と言ってはいるが……。PVでは3番の部分で8話ライブ中の虹夏の笑顔が映されている。

君の言葉がずっと 離れない 離れない
フラッシュバッカー
今も思い出してる

」が誰で、「思い出してる」のは誰か。たぶんこの曲の解釈が一番分かれる部分だと思う。本PVではこの部分に2話の虹夏「ぼっちちゃんも一歩前進だね!」後藤「また明日」が割り当たっている。そのペアで考えるのも悪くはないが、個人的にはこの歌詞は後藤ともう1人結束バンドのメンバーを選べば成立するし、そのように作ってあると考えている。互いに印象に残っているであろう言葉がいくらでも思い出される。なんならリョウ-虹夏のペアでも成立するだろうし、バンド外に目を向けると後藤が廣井にかけられた言葉の中にも「離れない」ものがあるだろう。それらを全てフラッシュバックできるのが視聴者の特権だと思っている。
今も」思い出しているというのがかなり引っかかる部分で、「今」が物語上のどの時点なのかがわからない。最悪10年後とかに結束バンドが解散された時点での回想である可能性もあるし……。

薄明に染まる空が 淡い彩りこぼして
こんなちっぽけな僕の 背中を包んでく
透明なこの体は 何色に成れるの?
ただ 水のように流れ 消えてゆくだけ?

詞が難しい問題の2番Aメロ。薄明は夜明け前の空が明るい時刻。「何色に成れるの」という問いは「色違いじゃ嫌んなるよ」を受けての繰り返しだろうが、透明なまま「色違い」にもなれず「水のように流れ 消えてゆく」のはより悪い結末に感じられる。「ちっぽけ」「透明」でまだ何者にもなれていない自分。

「ぼやけたままのフォーカスじゃ 君のホンモノは写せないよ」
寂しげな顔で 君が笑う

ここがこの曲で唯一カッコつきの部分なので、答えを歌詞内に求めるなら「君の言葉」は必然的にここになる。発言者と寂しげに笑ったのが「君」で、発言内の「君」は歌詞主体のことになるか。「ぼやけたままのフォーカスじゃ 君のホンモノは写せないよ」=「皆に見せてよ 本当は 後藤さんは凄くかっこいいんだってところ!」かなと思ったが、「寂しげな顔」の説明を付けづらいしフォーカスの意味も通らない。カッコ内の「君」と地の文の「君」が同一、とすればセリフも歌詞の主体も喜多で「君」が後藤になり単に後藤が愛想笑いしているだけになるか。この当てはめは好きだから多少無理してみたくなってしまう。「ぼやけたままのフォーカス」は涙が滲んだ目のメタファーかとも思ったが、声をかけている相手に対して「君が泣いていたら君は写せないよ」というのは筋が通らない。「フォーカス=天体望遠鏡」として「星座になれたら」とつなげる線もあるが「記憶」の話からは離れてしまう。
あまりにわからなかったので答え合わせのつもりでPVを見ると4話の山田が後藤に「ぼっちの好きなように書いてよ」と促すシーンが割り当たっていた。確かにこれだと「フォーカス」は歌詞のことでそれが写すのは後藤ということになり、前バンドのエピソードのトークもしているので寂しげな顔であることも説明できる。公式が一番解釈の天才かもしれない。

光る朝が 朝が あまりに眩しい 眩しいからさ
ちょっとさ らしくはない 未来も信じちゃうよ

「らしくはない未来」は素直に受け取るなら8話で語られた虹夏の夢と後藤の夢になると思う。より「らしくはない」のは後藤の方か。

君の言葉をぎゅっと 離さない 離さない
フラッシュバッカー
今も思い出してる

「星座になれたら」と同じ、最後に意思表明をする構造。

転がる岩、君に朝が降る

ASIAN KUNG-FU GENERATION『転がる岩、君に朝が降る』(2008) のカバー。性質上全てを解釈することはできないしそもそもおこがましいのだが少しだけ。転がる岩は英語のことわざ及びそれを下敷きにしたボブ・ディラン「Like a Rolling Stone」のこと……と思ってWikipediaを見ると違うらしい。確かにStoneとRockは別物だ。

出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっと それもあるよな

フォロワーからの指摘で気付いたが、3話で喜多から「なんでバンド始めようと思ったの?」と聞かれ後藤ひとりが「世界平和」と答えた部分がこの歌詞とシンクロしている。原作の段階から意識されていた可能性はある。「だけどちょっと それもあるよな」のにへへ……とした歌い方があまりにも後藤ひとり。

俳優や映画スターには成れない
それどころか 君の前でさえも上手に笑えない
そんな僕に術はないよな

4話、ライブハウスの客に引きつった笑顔でドリンクを提供する後藤ひとりが思い出される。皆さんは「君」に好きな登場人物を入れて楽しんでください。

何を間違った? それさえもわからないんだ
ローリング ローリング
初めから持ってないのに胸が痛んだ

コミュニケーションを取る相手がいないのに失敗を恐れて何も出来なくなってしまう後藤ひとり感。

僕らはきっとこの先も 心絡まって
ローリング ローリング
凍てつく地面を転がるように走り出した

僕ら」という詞が後藤ひとりの口から出てくるのは感慨深いものがある。

岩は転がって 僕たちを
何処かに連れて行くように ように
固い地面を分けて命が芽生えた

A rolling stone gathers no moss「転がる石には苔が生えぬ」を意識しつつ、僕たちはがむしゃらに転がっていくだけだがその足跡にはきっとなにかが残るだろうという希望を言っている。

あの丘を越えたその先は
光り輝いたように ように
君の孤独も全て暴き出す朝だ

孤独を暴き出す」のは、孤独を隠している人に対してだろう。思えば後藤ひとり以外の面々も何らかの孤独を抱えていたはずで(「誰もがひとりぼっち東京」)、この作品ではそれをゆっくり解きほぐしていく過程が描かれていたように思う。そうして迎えたのが朝であり、このアルバムの終着点ということになる。

僕らはきっとこの先も 心絡まって
ローリング ローリング
凍てつく世界を転がるように走り出した

「心絡まって」「凍てつく地面」「凍てつく世界」とある通り、これからも困難はあるけれど結束バンドの面々で転がっていくんだなあと感じられる希望に溢れた歌詞。「フラッシュバッカー」も「転がる岩、君に朝が降る」もこの作品全体の総括になっている。「フラッシュバッカー」については前項で述べた通りだが、この曲がかかる部分で映されるのは「後藤ひとりが鏡の前でギターを構える」という1話の中学生時代のリフレインであり、加えて「4人が今後の予定を話し合うシーン」と「後藤ひとりが学校とバイトに行くシーン」は「フラッシュバッカー」よりも明確にこれからも続く日常を意識させてくれる(バイトに行くことが「日常」になっているのはもちろん「フラッシュバッカー」の中で振り返られる数々のドラマの結果なのだが)。「フラッシュバッカー」がこの作品のドラマ部分にフォーカスをあてたエピローグだとすれば「転がる岩、君に朝が降る」は日常部分にフォーカスをあてたエピローグだと言える。

終わりに

皆さんも「ぼっち・ざ・ろっく!」という作品を楽しんでください。私は楽しみました。