Silent Foreign Perspective

ぼっち・ざ・ろっく! 楽曲 歌詞 感想

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Published at 2022-12-24 14:53:12

考察と妄想のハイブリッドです。
筆者のステータスはアニメ視聴済み、アニメ部分の原作既読、5巻収録特別編「星に手向けるあいの花」既読です。
この文章は概ね9話放映時に書かれており、8話以降及び特別編のネタバレを含む内容は白字で記載します。(今このタイミングで必要な配慮であるかはわかりませんが)

青春コンプレックス

OP曲。作中序盤の後藤ひとりのことを歌った歌詞と解釈していいと思う。

暗く狭いのが好きだった
...
どうしようもなく愛を欲してた

あまりに解像度が高すぎてビビる。OPのこの時点で、後藤ひとりが世を厭って孤独を選んでいるのではなく、他人と関わりたいもののその技量がないということが即座にわかる。

嵐に怯えてるフリをして
空が割れるのを待っていたんだ

まっさきに連想したのが「教室にテロリストが入ってきてそれを倒すことを妄想する男子中学生」だった。心境は全然違うとは思うんだけど、他力本願さとか幼さでは似通った部分があるかも。
作中の描写に当てはめると1話で虹夏からバンドに誘われる部分が「空が割れる」になる。「嵐に怯えてるフリをして」という部分が気になる。他人を怖がってはいるが実際に危害は加えられていない(現実はもう少しやさしい)くらいの意味か。

かき鳴らせ 光のファズで

Fuzzはギターのエフェクトのこと。Fuzは芳文社の電子コミックサービスのこと。

どうしよう! 大暴走獰猛な鼓動を

鼓動心臓は他の曲にも頻出する単語。ぼっち・ざ・ろっく!の楽曲群にはいくつかこういう単語がある。統一感を持たせるくらいの意図だと思う。鼓動や心臓は衝動とかドキドキ・ワクワクの意味で使われている部分が多そう(文字通りだけど)。

深く潜るのが好きだった
海の底にも月があった

押し入れにこもって動画上げてインターネットで評価される部分と解釈した。

誰にも言わないはずだった
が 歪な線が闇夜を走った

ギターヒーローであることを「誰にも言わないはずだった」と読めると思う。そうなると問題は「歪な線が闇夜を走った」の解釈。正直ここはちょっとよくわかっていない。
(8話)ギターヒーローであることを虹夏から看破される場面があるが、その部分がこの歌詞になるかといわれると疑問符がつく。
1番と同じく公園から連れ出される場面のことだと思ってもいいかも。

私俯いてばかりだ
それでいい 猫背のまま
虎になりたいから

「虎」の解釈が問題。単に猫背から連想されるワードってだけのことかもしれない。山月記が思い浮かびはするが、あれは失敗した人の話なのでしっくりこない。

ひとりぼっち東京


タイトルもあり、これもまた後藤ひとりの曲に思ってしまうが、聴いているうちにそれだけではないんじゃないか(他の人物の視点も混じっているのではないか)と思えてきたのでそのことを書く。

すれ違う人の 知らない匂いになぜか
懐かしい思い出が巡ってる

作中序盤の後藤ひとりに思い出はないと思う。(失礼)

駅前ファストフード
揚げたてのポテトはラッキー

「揚げたてのポテトはラッキー」という言葉はファストフード店に行き慣れていないと出てこないはず。

踏切の音 遠く聴こえた気がする

踏切も頻出ワード。なんとなく下北沢のイメージがある。

ギターの音が 熱くなるのは
わたしの中に青い炎があるから

この部分はギターを演奏している人の心情か。後藤 or 喜多

重なる声が 耳に届いてる間は
さみしくないんだよ

重なる声」をギターの音と解釈した場合はそれを聴くのはリョウか虹夏。ボーカルと解釈した場合は(劇中ライブ回での描写では喜多とリョウが歌っているため)後藤か虹夏。

さみしがり東京 みんなひとりきりなんだ
だからまた誰かとつながり合いたいの

この歌詞は後藤ひとりには出てこない。「みんなひとりきりなんだ」ということを改めて感じることはないだろうし、「また」つながりたいというのはかつてつながったことがある人にしか言えない言葉のため。
(特別編)母親を亡くした虹夏の心情と解釈できる。

あのさ! なあに? 言えない夢ばかりだ
けど、いつか聞いてね

インターネットでよく取りざたされる部分。5話での虹夏・後藤の描写と思われる。ただこの部分だけではなく全体的に虹夏の心情と思われる歌詞も多いことがここまで見てきた通りわかると思う。

重なる声を すぐに届けにゆくから
さみしくさせないよ

1番の同じ部分と逆。したがって主体も逆。後藤→虹夏の呼びかけだといいですね。

駆け出せ 目を開け 影引き連れてゆけ
ひとりじゃない

これも1話の公園から連れ出す部分に思えてしまう。「影」は後藤ひとりの比喩かつ直前の夕焼けから引き出されるワード。

というわけで伊地知虹夏と後藤ひとりの曲であることがわかった。

Distortion!!

喜多ED。全体的に「楽器演奏楽しい!」という空気で溢れていてあたたかい気持ちになる。が、歌詞を読むと意外と暗い部分もあり。

踏みつけられた孤独とペダルから ...
打ち付けられた孤独にスネアの ...

ここの「孤独」がちょっとよくわからない。前にくる言葉からは孤独が否定されていることがわかるので、みんなで集まって演奏してるよくらいの意味?

誰か心のノイズをとって
わたしを覗いてよ

ノイズ、はこの曲全体にある音楽用語散りばめの一環だと思うので少し無視する(=この心情を抱いている人の心にノイズがあるという意味ではないと思っている)。

誰も心の奥には入れないけれど
期待してしまうそんな夜

わたしを覗いてよ、からここまでが喜多の心情描写だとするとちょっとすごいものがある。作中でいわゆる「陽キャ」と描写される彼女であっても深いつながり合いを期待しているということなので……。作中の描写では作詞が後藤なので全て後藤の描写である可能性はあるが、「誰も心の奥には入れないけれど」ということを一般的な事実として彼女が断言できるのはちょっと違和感がある。喜多なら言いそう。

投げつけられた言葉が いつまでも
なんだか消えないまま 夕暮れの影みたいに
追いかけられて 止まれば飲み込まれそうで
必死で走って また夜を待つんだ

これも後藤の歌詞だと思いたいくらい暗くて焦燥感がある。後藤だとそもそも言葉を投げつけられないという気もするが……。この歌詞を喜多に当てはめようとするには自分の喜多への解像度がちょっと足りていないかなと思う。

Distortion it's Motion
始まったらもう怖くない
騒音と轟音で忘れられるから
そうだろう

ずっと不安がっているけれどステージに立つとなんとかなるのは喜多っぽい。1人だけ楽器演奏経験が浅い不安とかが根っこにあるのだろうか。

ギターの弦が揺れるたび ...

ここから作中で悪しざまに描写されてた明るい歌詞になるのだけど、ここまでの心中吐露、作中の喜多の練習描写なんかと合わせて聴くと結構勇気をもらえる。

カラカラ

山田ED。曲一番好き。変拍子に人間性が出てると思う。

重大な問題 抱えて眠る

山田。

愛された方が確かに無双的だけど

ちょっとよくわからないが、「愛されようと思えば愛されることができる」という自信は感じる。

冷たい夢から 目覚めて痺れる身体
君が眩しいから 私は影になれる

」と「」に誰を当てはめるかという問題がある。「冷たい夢から目覚めて」という部分が4話の過去バンドを辞めて虹夏に誘われたエピソードに対応すると考えると君=虹夏、私=リョウが正道か。喜多と後藤を入れても面白いかもしれない。

前借りしてるこの命を
使い切らなくちゃ 今この瞬間も

パンチライン。「前借り」は山田が金欠であることから連想される単語か。焦燥感。

ダラダラ過ぎる日も愛して
きっと君に会いに行く
いつか消えてしまう前に

君が消えるのか、私が消えるのか。ただ急いでいるだけでどっちでも関係ないのかもしれない。なのに「ダラダラ過ぎる日も愛して」いる。個人的にはこの自信・余裕と焦燥感が同居しているのがこの曲や山田リョウの魅力だと思う。

どうせどこかの誰かみたいに生きれない
だから 私のことなら私が推せる

ここも前段は過去のバンドのエピソードから。「私のことなら私が推せる」、すさまじい自信。

いざ踏み出せ
自慢の武器など一つもないけれど

ここだけ自信なさげ。ここに山田のコンプレックスがあるのか、あるいはなにか今後そういうエピソードがあるのか。ただ逆接でつないでいるので問題ないのかもしれない。

スカート揺れる 教室の隅で
ずっと溢れる 夢を抱きしめてた

「スカート揺れる教室」という単語から制服を着て同じ教室にいる情景が想像される。したがって同じ学校に通っているリョウ・虹夏、後藤・喜多の組み合わせしかない。捻くれていなければリョウ・虹夏だと解釈すると思う。

「きっとやれるわ」
やれるわ

ドラムがいないまましばらく演奏する、楽曲群の中でも珍しい展開。リョウが虹夏に声をかけているようにも思われる。歌詞を読むとカッコのついている部分が虹夏への呼びかけ、ついていない部分がリョウ自身への言い聞かせにも思える。

ギターと孤独と蒼い惑星

5話劇中歌。かなり後藤ひとり。

突然降る夕立 ああ 傘もないや 嫌
空のご機嫌なんか知らない

テレビとか見ないし外出もしないので天気予報を見る習慣がないであろう後藤らしい歌詞。(?)

季節の変わり目の服は何着りゃいいんだろ
春と秋どこいっちゃったんだよ

インターネットを感じる歌詞。季節に関係なくジャージ着てるから関係なさそうではある。

殴り書きみたいな音
出せない状態で叫んだよ

普通の人なら「殴り書きみたいな音しか出せない」と言ってしまうところだと思う。人前で演奏できない後藤ならではの表現。

馬鹿なわたしは歌うだけ
ぶちまけちゃおうか 星に

わたしが喜多(歌っている人)か後藤(ギターで歌う人)か問題はある。サビを喜多で解釈してもちょっと面白いかも。

空気を握って 空を殴るよ
なんにも起きない わたしは無力さ

ここ初めて聴いたとき笑ってしまったし今でも光景を思い浮かべてしまって口角が歪んでしまう。「空気を握って空を殴る」がなんかの比喩だったりするんだろうか。

眩しい 眩しい そんなに光るなよ
わたしのダサい影が より色濃くなってしまうだろ

後藤。誰が光っているのかについては各自思い思いの人を入れていい部分だとは思う。

わたし わたし わたしはここにいる

後藤の演奏シーンは常にこの歌詞が脳裏に浮かぶ。強烈な自意識。

なんかになりたい なりたい 何者かでいい

これ今日日中学生でも言うことを許されない願望だと思うんだけど最近はそうでもないのかな。売れてチヤホヤされたい後藤。

あのバンド

8話劇中歌。これも曲好き。歌詞は結束バンド結成前の山田のエピソードと後藤がいくらか混ざっているように思う。

あのバンドの歌がわたしには
甲高く響く笑い声に聞こえる
あのバンドの歌がわたしには
つんざく踏切の音みたい

陰キャが嫌なものランキング第1位、甲高く響く笑い声。売れ線の曲への馴染めなさが感じられる。踏切は頻出ワードだがこの曲は全体的に電車がモチーフになっている。

背中を押すなよ
もうそこに列車が来る

踏切の音を聴いていることからこの時点では列車に乗っていない。駅のホームか、動画のイラストの通り踏切の前なのか。いずれにしろ文字通り解釈するとサスペンスになってしまう。「背中を押す」のが「あのバンド」の歌だが、それは自分にはそぐわないということか。

目を閉じる 暗闇に差す後光

山田だとステージの照明が浮かぶが、後藤なら押し入れに差し込んでくる光になるのが面白いところ。

耳塞ぐ 確かに刻む鼓動
胸の奥 身を揺らす心臓

鼓動心臓。周りからの情報をシャットアウトして自分たちの音楽をやっていく心意気を感じる。韻を踏みにいっているだけかもしれない。

ほかに何も聴きたくない
わたしが放つ音以外

この自信の強さにどうしても山田を感じてしまう。「聴きたくない」は意思表示の言葉で、作中初期の後藤だと「聴けない(その余裕がない)」という方がしっくりくるため。成長して8話時点ではこれを言えるようになったと思うと感慨深いかも。

不協和音に居場所を探したり
悲しい歌に救われていたんだけど

陰キャあるある。自分は変拍子とか。

あのバンドの歌が誰かにはギプスで
わたし(だけが)間違いばかりみたい

ここの「ギプス」の解釈がわからない。「不協和音」や「悲しい歌」は内面的に私を救ってくれるのに対し、「あのバンド」の歌は外科的な処置である、みたいな対比? いずれにしろ世にはびこっているものへの馴染めなさをずっと歌っている。
全然関係ないけど、ここの裏でギターが左右で交互に弾いているところが気持ちいい。

背中を押すなよ
容易く心触るな

「あのバンド」の歌に対する苦情。1番より直接的な表現になっている。

出発のベルが鳴る
乗客は私一人だけ

「列車に一人で乗る」ことが何を意味するのかがわからない。踏切の音があのバンドの歌なら列車はあのバンドということになるか? もう少し対応を緩めて列車=バンドとすると、音を聴く側ではなく鳴らす側になる(バンドデビューする)ことを指していると解釈できるかも。「私一人だけ」と言うと結束バンドの結束力の無さみたいな話になってしまうが、これは同じ方向に向かうのが私しかいない=売れ線に迎合しない、という山田の意思を表していそう。以下この解釈で読む。

手を叩く わたしだけの音
足鳴らす 足跡残すまで

演奏をする光景。バンドとしての下積み時代みたいな場面? 足跡(そくせき)というとあしあとより「業績」といったニュアンスを感じるかも。

目を開ける 孤独の称号

これまで目を閉じていたところを開けている。直前までのフィルターかかったボーカルからの展開ということも相まって一気にライブシーンに引き込まれる感じ。「称号」は他者からの評価というイメージが強い言葉なのでここでバンドが評価されていることを表しているか。この歌詞も最初聴いたときはすごい自信だなと思ってしまったがここまでの解釈を踏まえると妥当というか、その自信を裏付けるだけの物語を感じる。

受け止める 孤高の衝動

「孤高の衝動」が誰のもので、受け止めるのが誰か。全部自分(山田 or 後藤)という気もする。

今 胸の奥 確かめる心音

これまで後光 / 鼓動 / 心臓と脚韻を踏んでいるがここでは称号 / 衝動 / 心音と子音のみ韻を踏む形になっている。なぜ心音という語が採用されたのかはちょっと判然としない。鼓動 + 心臓 = 心音とまとめて表しているだけのことかも?

ほかに何も聴きたくない
わたしが放つ音以外

デビューして評価されても初期衝動を貫く、みたいな感じか。

書いているうちにいつの間にか結束バンドのサクセスストーリーになってしまった。

なにが悪い

虹夏ED。8話と特別編のあとに聴くと歌詞の意味は自明なのでここでは割愛。

まとめ

曲の歌詞と作中の描写を重ねられる部分が多く、聴いてて楽しいです。ここ数ヶ月ずっとリピートしてこんな感じのことを考えていたのでいったん吐き出せる場所が欲しかった。